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16. 箱の中の物語

مؤلف: 月歌
last update تاريخ النشر: 2026-01-19 19:14:56

「……あなたって、変わり者ね」

芳玉は、くすりと笑った。

帳の内、二人きりの静けさの中で、その声はよく響いた。

「元皇太子妃と聞けば、もっと傲慢で、近寄りがたい人を想像していたわ。でも……」

視線が、まっすぐ蘭珠に向けられる。

「気に入った」

思いがけない言葉だった。

蘭珠は一瞬、どう返すべきか迷い、けれど結局、小さく微笑むことしかできなかった。

「……ありがとうございます」

芳玉は照れ隠しのように鼻を鳴らすと、くるりと踵を返し、部屋の棚へ向かった。

几帳の奥、壁際に据えられた低い棚。

その一角から、芳玉はひとつの箱を取り出した。

漆塗りの黒。 蓋には細やかな螺鈿細工が施され、光の角度で淡く色を変える。

「これ」

箱を抱える仕草が、少しだけ慎重だった。

芳玉は蓋を開ける。

中には、きれいに揃えられた紙の束があった。

「……これは?」

蘭珠は、差し出された紙を受け取りながら尋ねる。

芳玉は、少しだけ顎を上げた。

「私が書いたの」

「……え?」

思わず声が漏れる。

紙に視線を落とす。

端正な文字。 流れるような筆致で、物語が綴られていた。

この国に古くから伝わる悲恋譚。 だが、ただの写し
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  • 妊娠中に追放された皇太子妃ですが、無骨な武将に溺愛されています   55. 追撃

    王都を離れてから、どれほど走っただろう。夜の街道を、蹄の音が駆け抜けていく。楚凌は先頭に立ち、南へ馬を走らせていた。その後ろには、王都から選び抜いた騎兵たちが続いている。数は多くないが、追撃戦に慣れた者を優先して連れてきた。景衡軍と正面からぶつかるためではない。逃げる景衡を捕らえるための兵だ。「楚凌殿!」前方から声が飛んだ。「敵兵です!」楚凌は手綱を引き、馬の速度をわずかに落とした。街道の先に、いくつもの松明が見える。景衡軍の後衛だった。ただし、軍と呼べるほど整然としてはいない。数十人ほどの兵がまとまりなく走り、振り返っては王都の方角を気にしている。陸曜を失った影響は、楚凌が想像していた以上に大きいらしい。「追いつきますか」隣を走る騎兵が尋ねる。楚凌は前方を見たまま答えた。「追いつく。だが深追いするな」「はっ」「我々の目的は雑兵を討つことではない。景衡だ」腰の剣へ手を添える。その動きだけで肩に痛みが走った。楚凌は眉を寄せた。背中の火傷も悪化している。馬が地面を蹴るたびに身体が上下し、そのたび包帯の下の皮膚が引き攣った。汗が傷へ入り込むのか、焼けるような痛みまで感じる。王都を出る前より、確実に身体は重くなっていた。それでも止まれない。――必ず帰る。自分で蘭珠へ伝えた言葉だった。口にした以上、守らなければならない。景衡を捕らえる。この反乱を終わらせる。そして帰る。それだけだった。「速度を上げろ!」楚凌の号令とともに、騎兵たちが一斉に馬腹を蹴った。蹄の音が大きくなる。前方の敵兵も追手に気づいた。「来たぞ!」「追手だ!」悲鳴に近い声が夜へ響く。景衡軍の後衛が慌てて隊列を組もうとする。だが遅かった。陸曜がいれば、違っただろう。追撃を予測し、後衛へ指揮官を置き、逃げる本隊との距離を保ちながら迎撃させたはずだ。今は、それがない。誰かが「止まれ」と叫び、別の者が「逃げろ」と叫んでいる。兵たち自身が、誰の命令に従えばいいのか分かっていなかった。楚凌は剣を抜いた。「道を開けろ!」怒声が響く。数人の敵兵が槍を構える。楚凌は馬上から剣を振るい、その穂先を弾いた。左右から味方の騎兵が駆け抜ける。敵の隊列が崩れた。それでも、楚凌は追わない。逃げる兵を背後から斬る必要などなかった。「

  • 妊娠中に追放された皇太子妃ですが、無骨な武将に溺愛されています   54. 産声

    痛みは、波のように繰り返し押し寄せてきた。一度遠のいたかと思えば、再び腹の奥が強く締めつけられる。蘭珠は敷布を握りしめ、声を堪えながら必死に呼吸を整えた。「……っ、う……」「蘭珠様、息を止めないでください。ゆっくり吐いて」枕元から声をかけたのは、紙問屋の娘である芳玉だった。その反対側では、これまで身の回りを手伝ってくれていた女が、汗に濡れた蘭珠の額を冷たい布で拭ってくれている。二人とも、ずっとそばにいてくれた。自分の出産など、本来ならこの家には何の関係もない。それなのに紙問屋の一家は部屋を貸してくれただけでなく、湯や布を用意し、芳玉まで付き添ってくれている。「芳玉さん……本当に、もう大丈夫ですから。こんな夜中まで付き添っていただくなんて……」痛みが引いた隙にそう言うと、芳玉は困ったように眉を下げた。「今はそんなことを仰らないでください。蘭珠様には、私のことでたくさん助けていただいたんですから」「でも……」「遠慮なさらないでください」今度は手伝いの女が口を挟んだ。「私はもともと蘭珠様のお手伝いをしているのですから、こんな時にいなくてどうするんです」二人にそう言われ、蘭珠はそれ以上断ることができなかった。ありがたい。だからこそ、余計に申し訳なくなる。火事に遭い、足を傷つけ、突然この屋敷へ転がり込んだ。それだけでも迷惑をかけているというのに、今度は出産まで始まってしまった。「……ありがとうございます」蘭珠は小さく頭を下げた。その直後、また腹が硬くなった。「……っ!」今度の痛みは強かった。下腹の奥から腰へかけて、きつく絞り上げられるような痛みが広がる。蘭珠は敷布を握ったまま目を閉じ、侍医に教えられた

  • 妊娠中に追放された皇太子妃ですが、無骨な武将に溺愛されています   53. 帰るための戦い

    陸曜を討ったあとも、大門の内側には血と火の臭いが残っていた。捕らえた兵たちは次々と連行され、負傷者には敵味方を問わず手当てが施されている。つい先ほどまで剣戟が響いていた石畳には折れた武器が散らばり、兵たちはそれを拾い集めながら、城外の様子を何度も気にしていた。楚凌も、大門の上から外を見ていた。遠くに見える景衡軍の松明は、明らかに乱れている。陸曜を失ったことで統率が崩れたのだろう。先ほどまで整然と並んでいた灯りは少しずつ南へ流れ始め、街道へ向かう一団も見えた。景衡は逃げる。その読みは、おそらく間違っていない。「楚凌殿」門番頭が隣へ立った。「敵は退き始めておりますな」「ああ」楚凌は短く答えた。逃げる先も分かっている。景衡が治めていた国境の土地だ。かつて景炎と共に戦い、蒼隼国から奪い取った土地だった。城の位置も、その周囲を走る街道も知っている。景衡が自らの領地へ戻れば、残った兵をまとめ直し、蒼隼国へ助けを求めるだろう。そうなれば、また戦が始まる。ここで終わらせなければならない。分かっていた。それでも身体は、もう休めと言っていた。背中の火傷は脈を打つように疼き、陸曜との戦いで開いた肩の傷からも血が滲んでいる。剣を握っているだけならまだいい。だが腕を大きく動かすたびに、肩から背中へ鋭い痛みが走った。「一度、侍医に診せられた方が」門番頭が心配そうに言う。楚凌は首を横へ振った。「まだ終わっていない」「しかし、その身体では――」そこへ、馬の足音が近づいてきた。王都の奥から一騎の近衛が駆けてくる。男は楚凌の姿を見つけると急いで馬を降り、そのまま膝をついた。「楚凌殿。殿下よりご命令です」楚凌の表情が引き締まる。「申せ」「景衡王爺は南へ退却を始めたものと思われます。王都の守備兵は残し、騎馬を中心

  • 妊娠中に追放された皇太子妃ですが、無骨な武将に溺愛されています   52. 皇太子の決断

    正殿へ駆け込んできた伝令は、息を切らしたまま床へ膝をついた。「ご報告申し上げます! 陸曜将軍、討ち死ににございます。楚凌殿がこれを討ち取りました。陸曜に従って入城した兵も武器を捨て、現在は拘束されております!」一瞬、誰も声を発しなかった。その報告の意味を理解するまで、わずかな間が必要だったのだろう。やがて正殿にどよめきが広がり、張り詰めていた武官たちの顔にも、初めて明確な安堵が浮かんだ。「陸曜を討っただと……!」「では、反乱軍はもう――」「景衡王爺だけでは軍をまとめられまい!」口々に声が上がる。だが、景炎だけは表情を崩さなかった。陸曜を失ったことは大きい。景衡は皇族であるというだけで反乱軍の旗印になれる。だが、自ら軍を率いて戦況を判断し、兵をまとめ上げる力量がある男ではない。王都内部へ工作員を潜ませ、火を放ち、民を煽り、門を内側から開かせるという今回の策も、実際に組み立てて動かしていたのは陸曜だった。その男が死んだ。ならば、景衡が次に取る行動も、おおよそ想像がつく。「まだ終わっていない」景炎の低い声に、浮き足立ちかけていた正殿が静まった。「陸曜は死んだ。だからこそ、景衡は逃げる」景炎は机に広げられた地図へ視線を落とした。王都から南へ延びる街道。その先には、景衡が治めている国境近くの土地がある。もとは蒼隼国の領土だった。かつて景炎と楚凌が共に戦場へ立ち、多くの兵を失いながら蒼隼国から削り取った土地である。瑞華の領土として安定させ、国境を守らせるため、景炎は弟である景衡へその統治を任せた。皇族として責任を果たしてほしい。弟ならば、瑞華のために土地を守るだろう。そう信じていた。だが景衡は、陸曜とともに兄を裏切った。あろうことか、かつて戦った蒼隼国と手を結び、自らに託された土地を反乱の拠点へ変えたのである。王都攻略に失敗した以上、景衡が逃げ込む場所

  • 妊娠中に追放された皇太子妃ですが、無骨な武将に溺愛されています   51. 閉ざされる門

    城外から近づいてくる騎馬の列を、楚凌は城壁の陰からじっと見つめていた。白旗を三度振ってから、さほど時間は経っていない。それでも待つ時間は妙に長く感じられた。大門は開いたまま、門前には敵兵から奪った旗が掲げられている。捕虜の装束をまとった味方の兵も、外から見える場所に数人だけ配置していた。城外から眺める限り、王都の大門は完全に反乱軍の手へ落ちたように見えるはずだった。「先頭、騎馬十数騎」隣の門番頭が低く告げる。「後方にも兵が続いております。百……いえ、それ以上かと」「本隊ではないな」「はい」楚凌は小さく頷いた。陸曜は景衡軍すべてを連れてくるつもりではない。慎重な男だ。王都の大門を確保したとの報せを受けても、まずは自ら護衛を伴って入り、内部の状況を確認する。その後に本隊を動かすつもりなのだろう。それでいい。むしろ、その方が都への被害は少なくて済む。楚凌は城壁から降りると、門の内側に配置した兵たちを見回した。誰も声を出さない。槍を握る手に力が入り、弓兵たちも暗がりの中で息を潜めている。「陸曜本人を確認するまで動くな」楚凌は念を押した。「護衛だけが入ったところで門を閉じれば、外に本人が残る。それでは意味がない」「はっ」「それから、敵が入ってきても騒ぐな。最後尾まで十分に門を越えさせろ」門番頭が頷いた。楚凌は腰の剣へ手を添えた。背中が熱い。包帯の下では火傷が脈打つように疼き、肩の傷も先ほどの戦闘でまた開いたらしい。衣の内側へじわりと血が滲んでいるのが分かった。だが、不思議と身体は軽かった。痛みを感じないわけではない。それよりも、今まで散らばっていたものが一つの場所へ集まってくるような感覚があった。将軍だった自分。門番へ落とされた自分。蘭珠を妻として迎えた自分。そのどれもが、今夜この門

  • 妊娠中に追放された皇太子妃ですが、無骨な武将に溺愛されています   50. 早すぎる陣痛

    紙問屋の屋敷へ移ってから、どれほど時間が経ったのだろう。蘭珠には、もうよく分からなくなっていた。外では今も騒ぎが続いている。遠くで警鐘が鳴り、ときおり人々の叫ぶ声が夜の静けさを破る。窓は固く閉ざされていたが、どこかで燃えている火の臭いが、かすかに部屋の中まで入り込んでいた。それでも、先ほどまでに比べれば屋敷の中は落ち着いている。楚凌がここを離れる前に周囲の安全を確かめ、紙問屋の者たちも蘭珠が休めるよう奥の一室を用意してくれた。さらに、しばらく前には宮中から侍医と護衛の近衛まで到着している。皇太子が寄越したのだという。それを聞いた時、蘭珠の胸には複雑なものが込み上げた。景炎が自分の身を案じている。以前なら、それだけで心が満たされたのかもしれない。あの人が自分を気にかけてくれた、その事実だけで嬉しくなり、もう一度顔を見たいと願っただろう。けれど今は、その気遣いを素直に喜ぶことができなかった。「蘭珠様、お水を」声をかけたのは、これまで身の回りを手伝ってくれていた女だった。その隣では、紙問屋の娘である芳玉も、湯や布を運びながら落ち着かない様子で蘭珠を見守っている。「ありがとうございます。でも、本当に皆さんまで付き添ってくださらなくても……」蘭珠は申し訳なさそうに笑った。「私はもう十分にお世話になっています。お屋敷まで貸していただいて、そのうえ芳玉さんまで……」「そんなことを仰らないでください」芳玉はすぐに首を横へ振った。「蘭珠様には、私の縁を取り持っていただいた御恩があります。それに、今はそんな遠慮をなさっている場合ではありません」手伝いの女も、少し困ったように笑う。「そうですよ。私は元々、蘭珠様のお手伝いをするためにおりますから」二人にそう言われ、蘭珠はそれ以上断ることができなかった。ありがたい。だからこそ、余計に申し訳ない気持ちにもなる。自分の事情で、どれほど多くの人を巻き込んでしまったのだろう。蘭珠は寝台の上で、そっと腹へ手を置いた。子は無事だ。侍医にもそう言われた。足の傷も深刻なものではなく、しばらく安静にしていれば問題ないという。だから今は、待つしかない。楚凌が戻ってくるのを。「……また」腹の奥が、きゅっと縮んだ。蘭珠は眉を寄せる。先ほどから何度か同じ感覚があった。最初は強い痛みではない。腹が硬

  • 妊娠中に追放された皇太子妃ですが、無骨な武将に溺愛されています   12. 楚凌の誓い

    門番宿舎で暮らし始めて、一ヶ月が経った。華やかな宮中は、もう遠い。 朱塗りの柱も、香の煙も、絹の衣擦れもない。 ここにあるのは、土と木の匂いと、夕方になると肌にまとわりつく湿気だけだ。蘭珠は、まだ慣れずにいた。慣れないのは、家の狭さでも、貧しさでもない。 慣れないのは、自分の立ち位置だった。夫と呼ばれる男が隣にいる。 けれど楚凌は、蘭珠を「妻」として扱うより、「主の妻」として扱っている。 声も、視線も、距離も、慎重に保たれていた。妊娠初期のつわりは思った以上に重い。 朝、粥の湯気を嗅いだだけで胸が波立つ日もある。そんな日々を支えているのが、通いの下働きだった。名は周

  • 妊娠中に追放された皇太子妃ですが、無骨な武将に溺愛されています   10. はじめての家事、はじめての肉饅頭

    楚凌が東門の見張りへ向かったあと、蘭珠は静まり返った小さな家の中を見渡した。こんなに“やることだらけ”の空間に放り込まれたのは、生まれて初めてだった。「……えっと。まずは、お掃除……かしら」宮中では片づけは侍女の仕事だった。 蘭珠が持つ箒の使い方は、見よう見まねでしかない。それでも、やらなければならない。(楚凌様は……わたくしのために働きに出てくださっている。わたくしも……できることを)意気込んだものの、数刻後。部屋の隅には、掃いたはずの塵が小さな山を作り、桶いっぱいに汲んだ水は床にぶちまけてしまい、洗濯は桶に浸けただけで腕が疲れて動けなくなった。「ど、どうしてこんなに難

  • 妊娠中に追放された皇太子妃ですが、無骨な武将に溺愛されています   5. 夫の目が、私を映さない

    景炎が凱旋して三日。蘭珠はまだ、夫とまともに言葉を交わせていなかった。今日はようやく「皇太子妃として景炎へ正式に挨拶する日」。胸が痛むほど緊張していたが、それでも蘭珠は信じていた。(殿下は……きっと、変わらず接してくださるわ)だが、扉が開かれた瞬間、胸の奥に冷たい予感が走る。礼服姿の景炎が入ってきた。その背後に寄り添うように歩む白衣の女――雪瓔。その姿を見ただけで、蘭珠は息を呑んだ。彼女はやはり美しい。だが、美しさ以上に「気配」が異様だった。空気が揺れるような、ひどく静かな圧。蘭珠は彼女と会うのは初めて。しかし、遠くから見ただけで、全身が粟立つような感覚が走った。

  • 妊娠中に追放された皇太子妃ですが、無骨な武将に溺愛されています   4. 帰還の報せと、満月の影

    景炎が出陣して三十日。蘭珠は毎朝、宮門のほうを見つめる癖がついてしまっていた。勝利の報せは届いた。しかし景炎本人からの文は、最初の一通きりだ。「必ず戻る」と記された、あの短い文を最後に。蘭珠は机に向かい、書きかけの返書をゆっくり丸めた。何度書いても、出す前に胸が疼く。(殿下……どうして何の返事もくださらないの)体を動かさなければ、涙が溢れてしまいそうだった。だから庭に出る。ゆっくりと歩き、朝露の光る芍薬の花を眺める。けれど、心は晴れない。そこへ突然、侍女の梅香が駆け込んできた。「蘭珠様! 急ぎのご報せです!」「景炎の……殿下のお便りかしら!?」期待が一気に胸へせ

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